伝統文化を守る為に動く
日本全国には沢山の寺社仏閣があります。
そして、日本の文化でもあるお祭りは、数十万もあると言われています。
伝統文化である寺社建築物、お神輿(みこし)、山車など、その種類も様々。美しい景色、歴史や文化に日本人は触れてきました。
昨今、この日本の歴史が失われる危機にあります。なぜなら、伝統文化財を守れる大工が激減してしまったからです。
大工が激減している問題は、日本の大切な祭り文化を継承していくためにも国をあげて解決すべきなのですが、その為には膨大な時間を要します。
それならば、崩壊してしまった宮大工の仕組みを繋いでいく為にも、今、緊急の事態に対応できる宮大工救急隊が必要ではないでしょうか?
今、やらなければならない事は、伝統文化を守る為に動くことだと考えます。
「柄沢神社」
長期にわたり曳きまわしてきた山車の車輪が壊れてしまいました。
車輪自体はケヤキの木で作られていますが、 鉄のタガが嵌められ、車軸受けも摩耗していました。台車から外して交換修理しました。
「烏森神社」
総高さ十八メートルほどの幟旗の竿を造りました。
近県数か所の森林を訪ねて、芯から伸びの良い杉材を探すことから始めて、四年ほどかけて八本造りました。
樹齢五十〜六十年、根元の直径五十センチメートルほどの杉の原木から、一辺が二十センチメートルの角材を造り、更に丸く真っ直ぐに削り出して竿にします。
先端には風向きで幟旗が回転する様に、「鉄砲」と呼ばれる筒を造り差し込み、中間に滑車を上下二つ仕込んでロープを通し、幟旗を上げ下げできるようにします。
「白旗神社」
参拝者が増え催事の時は、おみくじを結ぶ場所が足りなくなることから新設しました。
景観上木製とし、おみくじの結びやすさやと縄の交換をしやすくし、将来屋根部分や柱が腐ってきた時も部分交換できるように造りました。
「苅田町内会」
藤沢市にある「皇大神宮」通称烏森神社には市の文化財に指定された人形山車が九基あります。
造られた詳細は不明ですが、車軸に「明治十八年」の刻印がありました。各町内の山車は総ケヤキ造りで、たくさんの彫刻と頂上に等身大人形が飾られています。総重量約一・六トン、高さ約七メートルあります。一時期保管の不備があり劣化や運行による摩耗や損傷で危険になった為、解体修理をさせてもらいました。以前はテコ棒で力任せで進行方向を変えていましたが、高さが高いために上部が振られて、屋根を支える彫刻柱に
負担が集中する為、ゆっくりと山車の方向を自在に変えられるテコ棒を製作し、山車にかかる負担を軽減しました。それでも足回りなどには定期検査修理が必要です。
「仲東町内会 烏森神社山車」
9基ある人形山車全てが、上部に人が乗り、数人で勢いよく回すことが出来るように作られています。
1トン前後の重量物が回転する為に、不具合があれば事故に直結しかねません。毎年の点検で必要とあれば交換修理する必要があります。
「上村神社」
二つの神社を並べて建立しました。御社宮司神を祭る通称「おしゃもじさん」と稲荷神社の二社です。おしゃもじさんは神明神社とし拝殿を妻入りして、稲荷神社は平入としました総桧造りです。どちらも小屋で覆い風雨による劣化を防ぐ様にしてあります。壁を板などで囲うのが一般的ですが、中が良く見えるように枡格子で囲ってあります。
「天嶽院」
小社ではありますが、形の整った美しいおやしろです。風雨で痛んできた為、作り直しとなりました。
「舟着神社」
事故で全壊した神社を古い写真をもとに再建立しました。簡素ではありますが、畑と街道筋に囲まれた古くから近在の信仰を集めていた神社です。
「普門寺」
百五十年以上前に建てられた山門で、正面柱二本のケヤキの柱が木の癖が出て、大きく曲がってしまい扉が閉まらなくなり、交換する
ことになりました。瓦を乗せたまま屋根部分を三十センチメートル持ち上げて、曲がってしまった二十センチメートル角の柱二本を交換しました。塀との取り合いや大戸の調整などの既存との馴染ませ方が難しいです。